2010年8月5日木曜日

太平洋戦争


今日のつぶやき次郎。
最近こちらで、3回にわたり
 HNKワールド、「元日本海軍 反省会 400時間の証言」第二次大戦 戦争責任の特集をやっていた。
日本では 2009年8月に放送。

「戦争の期間は、1941年12月7日(ハワイ現地時間。
日本時間では12月8日)から、大日本帝国政府が
降伏文書に調印した1945年9月2日とされるのが
一般的である。ネットより」

太平洋戦争で、亡くなった日本人およそ
309万人。 アジア各国の人々を入れると
この数ではすまない。 NHKより

『 真珠湾攻撃では、成功するが、
 ミッドウエイ海戦で、敗北をきす。
当時日本は、空母10隻、戦艦10隻を持っていた。
以降、敗北の一途を辿ることになる。

開戦当時 実権は海軍が握っていた、海軍の中でも
エリート中のエリートだけが入れた軍令部。
そしてその 軍令部は、〈伏見宮、皇族〉を担ぎ 国家を動かし戦争へと突き進んで行った。

日本の最高機関であり主に作戦を立て、実行させ
ていた《 軍令部 》の人間は、誰も責任を取る者がいない。 400時間の証言テープより。 
米英相手に、勝てない事を判っていながら、大勢の
国民を死に追いやった。 と言っている 』
 
(1941年、7月25日には在米日本資産を凍結、8月1日
には「全ての侵略国」への石油輸出禁止の方針を
決定し、日本に対しても石油輸出の全面禁止という
厳しい経済制裁を発令し、イギリスとオランダも
ただちに同調した。

この制裁は石油や鉄類、工作機械などの70%以上を
アメリカから輸入していた日本にとって致命的なも
のであった。
例えば日米開戦時の国内における石油の備蓄は民事・
軍事をあわせても2年分しかなかった。)


(日本が真珠湾を奇襲した後で、対米最後通牒を手交
したことは「日本によるだまし討ち」として喧伝され、
アメリカ国民に広範な憤激を引き起こし、アメリカに
おいて「卑劣な国家」としての日本のイメージを定着
させる原因となった。
しかし、公開された公文書によると、既にアメリカは
外務省の使用した暗号を解読しており、日本による対
米交渉打ち切り期限を、3日前には正確に予想していた。

対米覚書に関しても、外務省より手渡される30分前に
は全文の解読を済ませており、これが「真珠湾攻撃の
奇襲成功はアメリカ側による謀略である」とする真珠
湾攻撃陰謀説の根拠となっている。

また、真珠湾攻撃前のハワイ時間12月7日午前6時40分
に、日本海軍所属の特殊潜航艇がアメリカ海軍所属の
駆逐艦ワード号に攻撃され撃沈される事件(ワード号
事件)が発生していて、暗号電報の解読がなくても、
アメリカは日本からの攻撃を察知することができたと
する見解もある。また、
厳密に言えば日米両軍は開戦以前から交戦していた。)
                   ネットより

 戦況が悪化していく中 《 軍令部 》は
 特攻隊を作り、出撃して行く 十代から二十歳
     そこそこの若者を現地で見送り、終戦。 

  特攻で亡くなった方々、5千人以上。 

海軍並び軍令部は、戦後解体され、第二復員省なるものを作り、資料を焼却し海軍の戦争責任回避へ 全力で取り組む。
この結果、陸軍関係者6人が絞首刑、海軍関係者は終身刑、後に数年で出所。
開戦当時、海軍と陸軍は別物 一本化していなかった  仲が悪かった。

東條英機は、SCAPEGOAT となる。

私はこの様な多くの戦犯が、なんの裁きも受けず昭和・平成を平然と生きてきた、ことに驚きました。 
 
私の、おやじは太平洋戦争で、シベリアに抑留され
多くの戦友が飢えと寒さで死んでいく中、生きて
帰ってきた。
シベリアの土になっていたら、出来の悪い私は
この世に居ない。

私らの小さい時は、東條英機は一番の戦争犯罪者と教えられて来た。つい最近までそう思っていた、戦後の日本は東條英機に責任を押し付ければいいと。

東條英機に対する一定の評価その一部
バー・モウの評
ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ初代首相は自身の著書『ビルマの夜明け』の中で「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。
真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」と語っている。

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