2010年8月23日月曜日

若泉 敬


今日のつぶやき次郎
佐藤首相 ニクソン 時代に 密使として沖縄返還を実現させた人物(当時39才東大卒一般人)。

佐藤首相の密使として1960年代後半、アメリカに渡り留学時代の人脈をつてに、キッシンジャー、モートンハルベリン、と会い返還交渉をする。

最大の難関は、沖縄にある核を撤去できるか。 外務省の人間は何も出来ないでいた。

数ヶ月に及ぶ交渉。
そこで、アメリカの提案で《有事の際は核を持ち込む》を(密約文書に 佐藤 ニクソンがサインする)条件に返還が1972年に実現。
非核三原則がある日本は、この事を表に出せない。
この密約文書は、首相の死後に佐藤家から出てくる。

しかし、返還後、若泉 の知らない所でモートンハルベリンら高官により核の撤去 核持ち込み、とする密約から、核は今後一切持ち込まない、その代わり米軍沖縄基地の自由使用(ベトナム戦争、周辺国有事の際、無期限に使用できる)と言うものに代わって行った。

 《この時すでにアメリカは、何処からでも核を撃てる体制を持っていた、
  アメリカは最初から、沖縄基地の無期限自由使用が目的だった。》
それが今日まで続いている。

若泉 の仕事は、沖縄返還であり。 返還したから私の仕事(責任)は終わった とは 
考えず 何度も沖縄を訪れ米軍基地を見るたびに、こんなはずではなかった 
と自責の念にかられていった。

沖縄返還には、この密約しか方法が無かった。
そして、結果責任をとり自ら命を絶つ。
返還から38年 何も変わらない。  命を絶つ 本来 政治家のやる事。 

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